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日本一長い川は、信濃川。
でも、この川の名前は、川が新潟県に入ってからのもので、長野県の中にあっては千曲川であり、信濃川より千曲川という響に、子どものころの川で泳いだことや魚を採ってあるいた川遊びの思い出がよみがえり、ふるさとの川という感じがしている。
なんで、同じ川なのに場所によって名前が変わるんでしょう?
その千曲川、先週の大雨で百四、五十メートルある川幅いっぱいに水が増水し、もう少しで水が堤防を乗り越えるのではないかというくらいでした。
(残念ながらカメラを持ち歩いていなくて、その時の写真はありません。)
ある小学校は、千曲川と支流が合流するすぐ脇にあり、支流の上流にあるダムがこらえきれず放水を始めたものだから、支流でも、千曲川でも水が溢れ出してくるのではないかと、大騒ぎだったそうです。
南信の天竜川では堤防が決壊してしまったり、岡谷では鉄砲水が出て、多くの方が巻き込まれてしまったり、台風被害が少ない長野県内では珍しいほどの大きな水の災害となりました。
珍しいと言っておきながら、そういえば10年ほど前、北信の信濃町に住んでいたときに、大きな水害にあったこともあります。
夕方、3時頃から特大の雨が降り続いたと思ったら、朝までやまず、夜中じゅうサイレンの音が行ったり来たりしているので、心配になって明るくなってから勘を頼りに車を走らせてみたら、突然大河が流れているのに出くわしました。
大河と言っても、そこには田んぼの用水路しかないはずで、目の前にとうとうと流れるにごった水の底には田んぼがあるはずでした。
自分が経験したことのない場面に出くわすと、人間というのは思考能力がまったくなくなってしまうものらしい。
100メートルも200メートルもあるだろうか。
反対岸が見えないその流れの先には知り合いの家があり、うわ〜、と奥底からこみ上げてくるものを感じたら、無意識に靴を脱ぎ、ズボンをまくし上げ、道路が続いている先、水の中にジャブジャブと入ってました。
ところが、あるところまで水の中を歩いてきたら足が、あるはずの道路に着かない。
周りを見ると右手には流されてひっくりかえった車があることに気がついて、あわてて引き返してきました。
目の前に起きていることに対してのリアリティーが欠けていた、というのも不思議な感じなのですが、危険というものに対して、よっぽど鈍感でいたらしい。
(今回の大雨でも、川の様子を写真を撮りに出かけて、川に流されてしまった方が何人もいます。)
この時の洪水は、C.W.ニコルさんのすぐ家の脇に流れている鳥居川が溢れ出したものだったのですが、田んぼも、それから畑も、ニコルさんがなじみで出かけることの多い釣堀屋の生簀の魚たちも、みんなダメにしてしまいました。
そして、鳥居川ばかりでなく、千曲川や新潟県との県境に流れている関川をもあふれさせ、家を流されてしまい、車と車の中につんであった仕事道具以外すべて失ってしまった知人もいました。。
知人の家も流してしまった関川の周辺の地層を調べてみると1万年ごとに洪水の跡があるのだそうです。
この時の洪水は、1万年に一度の出来事だったのだ、という興味深い話を野尻湖ナウマンゾウ博物館の学芸員さんから聞いたことがあります。
1万年に一度を予想しろ、と言っても無理なように聞こえるかもしれないけれど、昔は水害の危険のある場所には家が少なかった。
昔の人は、というのも変ですが、自然と隣りあわせで暮らしていた人たちは経験として家を建てても安全な場所、危険な場所が分かっていた。
土地を探すときには、○沢とか、△池とか、□沼とか、水に関係する地名がついているところは、よく調べてからにしたほうがよい、ということをよく聞きます。
ところが人口が増え、宅地が手狭になってきたときに、土地さえあれば造成して、新しい分譲地として売り出すようになってしまっているものだから、移り住んだものは知ってか知らずか、いつでも危険と隣り合わせ、という場合もでてきてしまう。
しかも、○○団地、△△ニュータウンなど、新しい造成地に新しい名前をつけてしまい、何がなんだか検討もつかない場所になっているところもある。
恐怖心も感じず、洪水の中に素足で入っていってしまった自分もそうだけど、お町に住む人びとは「人間にはどうすることも出来ない自然の力」に対してかなり鈍感になってしまっているのではないか、そんな気がしてきます。
それになんでもコントロールしていこう、という現代都市の価値観が、人びとを鈍感にもさせていっているのかもしれません。
実は、アパート住まいをそろそろ終えて、土地探しをせねば、と考えるようになっていた時期だっただけに、今回の水害はいろいろ考えさせられる出来事でした。
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