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 育児最中 雑想ノート

034 自分を育てること、相手を思いやること
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朝日新聞の投稿の欄に、男女共同参加についての意見が寄せられていた。

男女共同参加 = 僕は、自分を育てること、そして、相手を思いやることだと思う。

その考え方について、学生の頃から僕は育性という言葉を使っていた。
この育性、教えてくれたのは大学の先生。

残念ながら、辞書にはありません。
育性という考え方を説明している本もたぶんないでしょう。

育性という考え方については、だんだんに北の子星だよりに書き込みしていかれたら、と思っていますが、育児休暇に入って2週間。
家の中の掃除、洗濯、料理、そして子どもたちの世話をしてみて思ったことは、職業も、学歴も、いわゆる社会的な立場すべてが、家事、育児を前にしてはぜんぜん関係がない、ということだ。


もっと言えば、
男らしさがどうのとか、女らしさがどうのとか、
男の役割はどうのとか、女の役割はどうのとか言う前に、
仕事にしろ、家事にしろ、そして育児にしろ、やらなければならないことがあれば、誰もがやるべきだし、
そのとき、やれる人がやればいい、ということ。

そして、相手への感謝とありがとうの言葉を大切にしたいということ、だ。

そう言っておきながら、今まで妻が家にいたときに、僕自身からありがとうをどれだけ言っていたか思い返してみれば、ドキッとしてしまうけどね。



今週は、天気に恵まれず、洗濯物がたまりがち。
今日は、1歳の息子をおばあちゃんがみてくれるという言葉に甘え、洗濯三昧の一日となった。

ごんごんうなりつづける洗濯機。
狭いアパートのベランダに、これでもかと所狭しと干された洗濯物と、布団たち。
夕方、洗濯物をたたむだけで、1時間丸まるかかってしまった。

よしもとばななさんのお子さんと、うちの上の息子が同い年ということもあって、よくばななさんのホームページを読むようになったのだが、そこでも洗濯戦争のことが書かれていたっけ。

洗濯以外に予定していたことはぜんぜんできなかったけれど、子どもを一日ずっとみていてくれた母にもありがとうが言えて、うれしそうな母の顔を見ることができたし、仕事から帰ってきた妻のありがとうの言葉ももらえて、幸せな気分になれました。


(2006.4.13)


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