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011 「博士の愛した数式」

休日は、できるだけ子どもたちと一緒に過ごすように、と考えているが、たまには見たい映画だってある。
そんなときは、一週間おきに妻と交代で映画を見にいくことにしている。
たとえ2時間、3時間と限られた時間であっても、一人になれる時間があるというのは、母親にとってもいい気分転換ができ、とても大事なひと時なのだ。

(妻が映画を楽しんでいる間に、旦那の僕は、育児と家事の練習ができるという算段なのだ。僕が本格的に育休に入ってからも、この作戦はひきつづきお願いします。)

それで、三谷幸喜さんのファンでもある妻は、「有頂天ホテル」を、その一週間後に僕は「博士の愛した数式」を見てきた。
三谷さんの映画は、伏線につぐ伏線が絡み合って、最後にああそういうことだったのかという落ちがあるところがとても楽しみだし、妻の評判もかなりよかったので、見たいことは見たかったが、原作の小川洋子さんの本を読んだという友人の話に興味を惹かれ、「博士の愛した数式」を見てきた。

とても温かで、穏やかで、さわやかな映画だった。
主人公、寺尾聰演じる数学の博士は、事故で80分しか記憶がもたない。
そんな博士のもとに、深津絵里演じる家政婦が派遣されたところから物語は展開していくのだが、映画全体が数学の授業を受けているよう。
でも、それは難解な公式とにらめっこをしているのとはまったくちがい、しごくありふれた日常会話の中に不意に数式が現れる。


例えば、家政婦の杏子が、朝、訪問すると「君の足のサイズはいくつ。」と、かならず博士。
杏子が、「24です。」と答えると、
「24は、4の階乗だ。実に潔い数字だ。」といって、自室に入っていく。

はじめは、そのやり取りをものめずらしく笑っていたけれど、
「直線を引いてごらん」
「本当の直線は始めと終わりが無いんだ」
「でも直線はとりあえず目に見える形で引かなくちゃいけない」
「目に見えない世界が、目に見える世界を支えているんだよ」
などなどのセリフに、なぜだか涙が出てくるのです。

数字の世界に涙が出てくるなんて、とても不思議なことだけれど、それが80分しか記憶のもたない博士の、人とのコミュニケーションの手段であり、数の世界が語られるたびに世界の真実の一端を教えてくれるようで、溜息がもれる。

実はこの映画、僕の住んでいる長野県上田市周辺をロケ地にし、よく知っている子も深津絵里さん演じる杏子さんの息子、ルート君の少年野球の仲間としてエキストラで登場している。地元の映画館を訪れた人たちは、ロケ地当ても楽しみの一つになっていたが、それは抜きにしても、とてもいい映画だと思う。

おすすめです。
                               
(2006.2.27)

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北の子星だより
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