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3月20日。 戦争が、ついに始まってしまった。
空母から、飛行場から飛び立っていく戦闘機、爆撃機。
轟音とともに発射されるミサイル。
闇に向かって火を噴く戦車。
火柱と黒煙があがり、爆音の轟くバクダットの街。
・・・・。
開戦後、アメリカがどのような作戦を考えているのか、イラクのどこに攻撃を仕掛け、それはどんな意図なのかという解説、情報が、テレビのブラウン管からも、新聞の紙面からも流れてつづけている。
参考までに、
アメリカの国防予算は3289億ドル(2002)
世界の主要国に占める軍事費の割合は4割に達する。
「大量破壊兵器」の最大の生産国はアメリカである。
対するイラクの国防予算は、13億ドル(2000)
まるで象対蟻の戦争を見ているようだ。
昼間のあたたかな部屋の中で、生まれて6ヶ月のわが子のおしめをかえながら、あの街で暮らす子どもたちはどうしているだろうかと、不意に気になってしまった。
真夜中の空襲警報のサイレンに、寝つけず、おびえ、泣き続ける赤ん坊。 そして、ただただ我が子を抱き続ける母親。 急ごしらえの防空壕に埃まみれになりながら、片寄せあう家族。 食料は、水はいつまでもつのだろうか。 薬は、十分あるのだろうか。 ・・・・。 サダム・フセインがいなければそれに越したことはなく、それまでの厳しい生活にも終止符を打てるかもしれない。 しかし、アメリカ軍が発射したミサイルが目の前に落ちるようなことがあったとしたら、そして傷つき、死ぬようなことがあったとしたら、だれを憎むのか。 フセインか。 アメリカか。 アメリカに加担した国々、人々か。 それとも自分の不運をか。
どんなに精密な誘導ミサイルを用いても、それがイラクに普通に暮らす人々の頭の上を飛ぶことに変わりがない。 そして、すでに出はじめているという負傷者は、「
最小限の犠牲 」 として片付けられても仕方のないことなのだろうか。
武力行使を容認する人たちは、どれだけ 「最小限の犠牲」 への想像力を働かせているというのだろうか。
戦争は始まってしまった。
しかし、武力に頼るこんな短絡的な方法で問題が解決すると思えるほど、世界は単純ではない。
武力に頼った先には、次の戦争への予感を覚えずにはいられない。
今何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか、注意深く見つめていく必要を強く感じています。
(2003.03.22)
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