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3月の末に、友人Kの結婚式に招待していただくことになった。
同じ職場で一緒に働いていたのは一年間だけだったが、それ以来、年に何度か会っては山に登ったり、スキーに行ったり、一緒に酒を飲んで一晩語り明かしたことも数知れず。結婚の知らせを聞いたときはよかったよかったと自分のことのように大騒ぎをしてしまった。
結婚式の知らせを聞いて数週間後、友人Kから電話がかかってきて、余興をしてくれという。結婚式では、手伝えることがあったら何でもするぞ、とはりきって引き受けたのはよかったが、電話を切ってから余興とは何をしたらいいものか考えてみたが、検討もつかない。
大勢の人たちが見ている中で、しかもお祝いの席に合ったことを考えなければいけないというのは、もともと一芸を持っていない僕にしてみれば、頭を悩ませる問題なのだ。
一緒に余興をすることになった友人Tにすぐ電話をしてみるとやっぱり、
「
うれしいんだけれど、困ったぞ、何する・・・、何する・・・。 」
と唸ってばかり。
「 紙芝居はどうだ。
」
電話で友人Tが、考え考え話し始めた。
「
悪いやつが嫁さんをさらっていくんだ。
そこに正義の味方、新郎が現れて颯爽と救い出す。
おれ、今、黄金バットにはまっているんだ。
」
と、友人。
黄金バットの新郎か。
それも面白いかもしれないが、友人Kの顔に似せた黄金バットを描く自信が湧いてこないし、黄金バットというのは古すぎて僕の記憶の中にはないので、それはいいとも言えないでいると、それなら 「木遣り唄」 はどうだ、ということになった。
「 木遣り」 というのは、長野県では、諏訪の「木遣り」が有名だが、山中で切り出した重い材木などを運ぶとき、多人数で音頭をとり、掛け声を掛ける際に歌う俗謡で、残念なことに、僕は生で聞いたことはない。
一緒に余興をやる友人宅に出かけて、練習してきたが、とにかく高音を出しっぱなしで、歌うというより鳴く、鳴きわめくといった感じ。木遣り独特の抑揚がチンプンカンプンで、さっぱりわけが分からない。
これは、そうとう練習しないとぜーったい人前で、しかも結婚式などという華やかなところで歌うことなどできません。
その後、家で怪しい唄へと変わってしまうのをこらえつつ、目の前に見本の友人Tを思い浮かべて練習している毎日でいる。
そんなお父さんをじっと見ていた、生後5ヶ月の我が子。
普段の
「 あーあー。 えーえー。」
という声が、どうもちょっとちがう。
「 あーーーーあーーーー。」
「 えーーーーーーえーーーーーーー。」
眉間にしわ寄せ目に力を入れ、妙に声を張り上げ、手足をばたつかせて大騒ぎをしている。
お父さんの声が楽しくて、自然に覚えてしまったのね、木遣り唄を。
(2003.03.08)
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