■ 育児最中 雑想ノート |
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078 効率もなにもあったもんじゃないけれど | ||
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公園からの帰りの車の中で息子がお昼寝をしてくれて、アパートの布団に寝かしつけて、今やっとホッと一休みをしたところです。 先日、息子と公園でケンカになってしまったことを載せましたが、あれからいろいろ作戦を考えました。 息子がぐずってしまったのは、ちょうど眠くなる頃でした。 それが11時から11時半ごろ。 そんな時間に家を出て、いい具合に揺れる車に息子を乗せておいて、降りるときになってぐずって困る、なんてのは親の都合のいいように考えすぎなのかもしれない、とかなり反省。 そこで、部屋の掃除、洗濯はなんとしてでも10時から10時半ごろまでに終えて、とにかく息子の機嫌のいいうちに二人で外に出ようと考え、今日はその通りにしてみました。 すると、お昼をはさんでいい具合に散歩をしたり、ボール遊びをしたり、ご機嫌で遊んで、あとは疲れてお昼寝、という具合にうまくいきました。 しばらくは、このリズムをつづけられるよう努力してみます。 ところで、今の僕が家事にかけている時間ですが、子どもとの遊びの時間を抜いて、一日トータルで8時間から9時間といったところでしょうか。 中身は、というと食事の用意、洗濯、掃除といったところですが、例えば掃除。 息子2人のパワーに荒らしまくられて、食事の片付けと合わせて毎日午前2時間、夜2時間やっています。 部屋がきれいでいられるのは、長男が保育園に行き、次男がお昼寝をしているときだけです。 だから平日、妻はきれいな部屋というのを見たことがありません。 部屋をきれいにするのは、午後、次男がお昼寝中に僕がのんびりくつろぐ時のためだけ!?って錯覚もしてしまいます。 最近、「効率」 ということが大きな自己主張をしているのをよく耳にしますが、我が家のお掃除のような行為って対極のことだよなあ、って思います。 でも、すごく大事なことだと思えるようになってきました。 きれいにして、ようやく気持ちのいい部屋で過ごせる、と思っても、息子たちの手にかかれば数分、いや数秒で散らかり放題になってしまうけれど・・・。 世の中を成り立たせるためには、確かに利益や効率、結果の出来を考えたことは大事だとは思いますが、無駄だと思えることにも立派に世の中を支えている大切なことってあるんじゃないか、とも思います。 片付けても片付けても次々に散らかされ、ときどきどうしようもない徒労感に襲われてしまう掃除だけれど、一日やらないでいると次の日はさらに大変なことになってしまうのが目に見えて分かるので、昼間のたった数時間のためにも掃除をがんばらなければ、です。 なにより僕と家族の精神衛生上、明るく暮らしていかれるためにね。 4時過ぎの保育園のお迎えに行ってアパートに帰ってくれば、もう夕日は山の向こうにかくれてしまう季節になりました。 アパートのベランダから親子3人顔を出し、しばし夕焼けに見とれるほんの短い時間に幸せを感じてしまったのでした。 |
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(2006.10.30) |
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