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017 家族の風景
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この育児休暇に入って、子どもたちとの生活が落ち着いてきたらしたいことがあります。
写真の整理です。

趣味の一つに写真がありますが、一人目の子どもが生まれてからというもの、風景写真はなかなか撮りに行くことができなくなりました。
代わりに、もっぱら家族写真ばかり撮るようになったのですが、その写真もなかなか整理するところまで手が回らず、山積みになっています。

大事な写真がたくさんあるのですが、その中で最近気になっていた写真があり、さっき山積みの写真の中から探し出してきました。
おばあちゃんと上の息子が一緒に写った写真です。

息子(ひ孫)は生まれた直後に、緊急入院が必要となり、長野県立子ども病院に3週間ほどお世話になりました。

出産直後の妻は、体を動かすことができません。我が子に会いに、父親である私が長野県上田市から、豊科町の長野県立子ども病院まで、仕事が終わったあと毎日、片道一時間半かけて通い、母乳を届けていました。

生まれてすぐの赤ちゃんに会えるのを楽しみにしていた母親やおじいちゃん、おばあちゃん、家族みんなはとても寂しがり、何度もお見舞いに通っていました。

ひ孫を抱けることを楽しみにしていたひいおばあちゃんも、85歳という高齢にかかわらず、片道1時間半もかけ、しかも三才山(みさやま)という峠道を越えて、お見舞いに来てくれました。車酔いしやすいことなどものともせず、です。

でも、子ども病院は、重症の子どもたちがお世話になる病院であり、感染症が心配なため、家族といえども両親しか病室に入れませんでした。

がんばって病院まで行けばひ孫を抱ける、その一心で駆けつけてくれたひいおばあちゃん。ひ孫を抱けないと分かった時のその残念そうな、切なそうな顔は忘れられません。窓越しにひ孫をのぞきこんでは、窓ガラスを夢中で叩いていました。

3週間ほどで無事退院でき、待ちわびていたひいおばあちゃんがひ孫を抱く風景。

うれしさに笑顔いっぱいでひ孫を抱いてくれたおばあちゃんも、一昨年夏、くも膜下出血で緊急入院して、意識がはっきりもどることなく今年3月、88歳で他界しました。

もうひ孫を抱いてもらうことも、話をすることもできなくなってしまいましたが、家族の大切な思いでの一コマとして大事にしておきたい写真です。


(2006.3.17)


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