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001 9.11に思うこと
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巨大な世界貿易センタービルに、ジェット機が相次いで飛びこんだ2001年9月11日から、一年が経ちました。
あまりにも現実離れした出来事に、映画のワンシーンを見ていたような思いが今でもしています。再びニューヨークに行けば、あの巨大な質量を誇る、天を貫くような二つのビルにまた会える、そんな気さえしています。

あの日、テロによって命を失われた被害者の数は、およそ3000人。
その3000という数字の後ろには、親兄弟がいて、恋人がいて、夫がいて、妻がいて、子どもがいて、友だちがいて・・・・。
悲しみの数は、際限なく広がっています。
無差別に、大勢の人々の命を奪ったテロはあまりにも悲惨な事件であり、テロに関った人たちのしたことは、到底許すことのできる行為ではない。
テロはいけない。
しかし、そう思う一方で、なぜテロが行なわれたのか、という疑問が大きく膨らんでいます。

この一年の間に頻繁に聞かされた、気になる言葉がありました。
正義と悪。

世界は持てる国と持たざる国とに大きく隔てられ、政治的にも、経済的にも、軍事的にも強大な力を持つ側に立つ者たちの発する正義という言葉は、あまりにも独善的なものに感じてなりません。
なんとなくは感じていた、地球がけっして無限ではないということ、その地球の上で幸福は人々に平等にはやってきてはいないということを、9.11はまざまざと感じさせる事件だったように思えてきます。
アメリカ並の生活を世界中の国々がしようと思ったら、地球はもつわけありません。
こんな当たり前のことにみんなが気がついてきた中で、正義の名のもとに自分の国を、アメリカのいう平和を守ろうと躍起になっている姿に、違和感がわいています。
(2002.09.04)

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